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AZLIVをはじめたきっかけ

AZLIV代表の阪井です。

 

この記事では「AZLIVをはじめたきっかけ」を書きます。

 

ただはっきりいうと、あまりきっかけらしいきっかけはありません。

 

きっかけというよりは、いろんなことに取り組んでいたら、いつのまにかAZLIVが仕事になったというイメージです。

 

大学時代は本当にたくさん試行錯誤しました。

 

はっきり書いてしまうならば、どうやったらお金を稼げるのか模索しまくりました笑

 

この記事は大学時代の模索しまくりだったときの話です。

 

僕の職歴は

大学卒業

→ 個人事業(2年)

→ 会社設立です。

 

これをみるとはじめからやりたいことが決まっていて、起業する気まんまんで人生を歩んできた奴みたいにみえるかもしれませんが、そんなことないんです。

 

よく「起業」っていうと、一念発起して何かをするみたいなイメージあるじゃないですか。

 

起業といえば、「脱サラして自分の店をオープンするぞ!!!」みたいなイメージありますよね。

 

でも僕の場合、全然違うんです。

 

ざっくりいうと、趣味の延長でトレーニングに関するものを自分で使うために作ってみて、それが案外いいでき具合で販売してみたら意外に売れた、みたいな感じの始まりだったんです。

 

まったく一念発起してません。

 

たとえるなら、メルカリで自宅にあった服を売るみたいなノリです。メルカリで服売って「俺、起業したわ」みたいに思う人いませんよね。僕も最初はそんな感じでした。

 

だから「いつ起業したの」みたいな質問にめちゃくちゃ困るんですよ。

一念発起の末に起業しようとして始めたわけじゃないので。

 

たとえば、みなさんヤフオクやメルカリで初めてモノ売ったときがいつだったかとか覚えてますか。

 

ざっくりとはわかるかもしれませんが、特に「あのときだ!!」とはなりませんよね。

 

ただ商売をするみたいなことに関するモチベーションは漠然とありました。

 

ふつう大学生くらいになれば、なんとなく自分の将来を考えるじゃないですか。

 

僕の場合、なぜか会社員としてずっと生活するっていうイメージがわかなかったんです。

 

どれだけ考えても就職して何かの仕事をするっていうイメージがわかなかった。

 

高度経済成長の時代ならば、

サラリーマン=企業戦士って感じでかっこいいイメージはあったと思うんです。

 

ただ今は失われた30年なんていわれているデフレの時代です。

 

企業はどこも厳しいですし、データをみても日本の会社員の賃金は増えてません。

 

それなのに払う税金だけは右肩上がりです。

 

僕は平成6年生まれで、ちょうどバブルがはじけて日本社会が低迷しだしたときに生まれた世代です。失われた30年どストライク世代です。

 

生まれてから日本経済が潤っている、今日よりも明日が良くなるということを感じたことがありません。

 

たぶん僕の世代の人はみんな多少なりとも同じような気持ちではないでしょうか。

 

つまり、将来やりたいことがなかったわけです。

 

それでも大学を卒業したら何か仕事しないとダメじゃないですか。

 

僕の場合、そのときの頭の中の選択肢に「会社員」がなかったんですよ。

 

こりゃヤバいってなりますよね。大学卒業してからやることないわみたいな。

 

だから「何かしないとな」とは大学1年生の頃から思ってました。

 

 

 

もし就職するという生き方がこの世になかったとしたら、あなたはどうやって生きていきますか?

 

僕が大学生になったばかりの頃に突きつけられた課題はこれでした。

 

まぁなんとか奮闘して大学時代にやることを探さなければいけなかったわけです。

 

 

ただ僕の場合、頭の中に「就職する」っていう選択肢がなかったのは生まれも関係しています。

 

 

 

 

自営業の家庭で育った少年時代

 

「職業は遺伝する」っていう面白い言葉があります。

 

僕もまったくそのとおりです。

 

僕は三重県の松阪市という牛の有名なところで18歳まで育ちました。

 

兄弟3人の5人家族に生まれたんですけど、父親は自営業でした。

 

僕の父親は中古車の販売と車検のための整備を自宅兼事務所でやってました。

 

毎日、父親は家にいました。それゆえ会社員の生活っていうのを肌感覚で感じたことがなかったんです。

 

ただ不幸にも父親の商売はうまくいっていませんでした。

 

会社員ならば会社に勤めていさえすれば、月給が○○円という形で保証されていますが、自営は保証されていません。

 

つまり、商売がうまくいかなければ落ちるところまで落ちるということです。月給ゼロどころか場合によってはマイナスまでいきます。

 

僕の父親の商売はまったくうまくいっておらず、僕は子供だったのでわからないですが、収入は果てしなくゼロに近かったんじゃないかと思います。

 

なので子供のときに家族で旅行に行ったりとかそういう思い出はひとつもありません。誕生日に家族で外食に行った思い出なら少しはあります。

 

たとえば、小学生になる頃にはみんな自転車を買ってもらいますよね。

 

当然、うちには新品の自転車を買うお金はありません。

 

近所の5歳くらい年上の先輩のお古の自転車を譲ってもらうわけです。

 

そして、それを父親と一緒にスプレーで塗装して気分だけでも“新品”を感じようとしていました。

 

紫のボディに赤色のスプレーを吹いたので、ワインレッドみたいな変な色の自転車が完成しました。

 

僕は、生来「人と違う」ものが好きなので、その異様な色の自転車もそれはそれで楽しんで乗っていました。

 

そういう工夫をしながら楽しんでいたので、お金がないことそれ自体は別にそこまで不幸ではなかったです。

 

 

 

 

金の切れ目が縁の切れ目

 

ただ、夫婦関係というのは金の切れ目が縁の切れ目です。

 

僕が中学生になった頃にはしっかり雲行きが怪しくなってきました。

 

夫婦関係が悪化すると、だいたい母方の親(僕にとってのおじいちゃんとおばあちゃん)がうちにきて父と口論になっていました。

 

みなさんにもおじいちゃんはいた(もしくはいる)と思います。

 

そして、だいたいおじいちゃんというのは優しいです。めったに怒りません。

 

ゲームがほしいと言えば、買ってくれるくらい優しいです。

 

 

あるとき、母方のおじいちゃんが僕の父親に向けて

 

「働かん男は論外や!!!」とどなり散らしていました。

 

おじいちゃんは僕の父親をぶん殴る勢いでブチギレてました。

 

そんなおじいちゃんは見たことありませんでした。

 

おじいちゃんから見ると、自分の娘(僕の母)の家族が生活に困窮しているというのはかなり辛かったんでしょうね。

 

それでその原因は僕の父親であると。

 

自営業にとって、「働かない」とは「お金を稼げない」を意味します。

 

つまり、おじいちゃんからすると働いてお金を稼いでこない男は論外であるということです。

 

 

そんな光景を目の当たりにして子供時代を過ごしてきたので

 

「お金を稼げないと不幸になるんだなぁ」

 

と否が応でも思いました。

 

それで僕が中2くらいのときに、家庭内別居→別居という流れを経て両親は離婚しました。

 

 

 

男3人共同生活

 

そこから父と兄との男3人共同生活でした。

 

父は自分の商売はうまくいっていなかったので深夜にボールペンを作る工場にパートにいって日銭を稼いでいました。

 

法事の席などで、親戚に「お父さん夜にパートにでてるんやろ?」とかなり心配ぎみに問われたこともあります。

 

「ふつうの家庭」を知らないので当時はそれが深刻であるとかはなにも思いませんでした。

 

 

そして、自営の問題はお金だけではありません。

 

 

 

 

毎日、ブラックニッカをストレート

 

自営の場合、会社のように管理してくれる存在もいないので自己管理も難しいわけです。

 

ふつうの人は学生時代なら親や先生が、社会人になってからは会社が生活を管理してくれます。

 

毎日決まった時間に決まった場所へ行く、

 

こういう制約があるだけで、かなり生活は整います。

 

しかし、自営にはそれがありません。

 

 

案の定、僕の父親は夜にウィスキーを飲んでグデグデに酔っ払うのが日課でした。

 

今おもえばそれは完全なるアル中(アルコール中毒)でした。

 

当時の僕は「アル中」という言葉を知らなかったので特に意識はしていませんでした。

 

ちなみに僕もお酒、とくにウィスキーは大好きです。アル中ではありませんが。

 

父は毎日、夜にお酒を飲んで酔っぱらって、昔の武勇伝を意気揚々と語ります。

 

飲むのはブラックニッカをストレートです。

 

当時は酒飲みはみんなブラックニッカをストレートでいくものだと思ってました。

 

大人になった今、そんなことをする人は大学のサークルの悪ノリ以外でみたことありません。

 

ブラックニッカをストレート、手っ取り早く酔う秘訣だったのでしょう笑

 

中学生の僕はお酒は飲めませんが、毎晩その酔っ払いの語りに付き合わされるわけです。

 

アル中の酔っぱらいはだいたい20分起きに同じ話をリピートします。

 

「その話さっきしたやろ」と僕が言っても酔っぱらいはわかりません。

 

そんなやりとりが毎日でした。

 

 

自営で商売はうまくいかず、アル中では救いようがありません。

 

母が離婚したのはよくわかります。

 

 

ただ、商売がうまくいかない自営のアル中で終わればまだよかったんです。

 

 

 

 

突然の男3人暮らし終了

 

中3の9月のことです。

 

両親が離婚して、男3人暮らしになってしばらくたったときでした。

 

僕の父親は夜中に兄が乗っていた原付に乗ってどこかへ出かけていきました。

 

「お前も来るか」と聞かれましたが、「行くわけねぇやろ」と返事しました。

 

 

その日それっきり帰ってきませんでした。

 

 

 

次の日、僕は朝起きて学校だったので適当に朝食を食べて学校へ向かいました。

 

父親が昨日の夜から帰ってきてないことに関しては、

 

「あのクソ親父、ついに子育て放棄したか」

 

となかば冗談っぽく思ってました。

 

いつも通り、その日の授業もすすみ、お腹もすきはじめた2限目か3限目の国語の授業のときです。

 

授業している先生とは別の社会科の先生が、ふと窓際の席にいた僕のとなりを深刻な表情で通り過ぎていきました。

 

そして、僕たちの教室の前でとまり扉をノックし、授業をしている先生を呼び出しました。

 

先生2人、神妙な面持ちで会話をしています。

 

少したってから、先生が僕のほうを指差して「廊下にでろ」というジェスチャーをしました。

 

「なんか俺、悪いことしたっけ? 昨日の下校中のコンビニでの買い食いでもバレたんか?」

くらいに思ってました。

 

「職員室へ来てください」と言われたので、先生と一緒に職員室へ向かいます。

 

その途中の階段で、先生はベテランの役者のようなトーンで僕に語りかけようとしました。

 

このときはじめて、

 

昨日の夜から父親が帰ってきていないことと、先生の恐ろしいほどの神妙な面持ちで僕はすべてを悟りました。

 

 

 

 

 

先生が次に発する言葉は聞く前に予想ができていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お父さんがな、亡くなった」

 

 

 

 

「嘘でしょ」と咄嗟に声にでましたが、聞く前から聞かされる言葉がわかっていたので、なかば条件反射で返事してしまっただけでした。

 

 

 

 

交通事故でした。

 

 

ただ相手はいません。原付で自分から電柱にぶつかった自損事故でした。頭を強くうったのが直接の死因です。

 

 

 

脱サラして、自営の道へ進んだ父親は商売がうまくいかず、家庭もうまくいがず、酒に溺れ、50歳になるまえに交通事故で他界しました。

 

 

 

ちなみ自分の父親のことをボロっかす書いているように見えるので、僕は父親のことが嫌いだったのかと思われてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。

 

ふつうに嫌いじゃありませんでした。

 

ボロっかすに書いたわけではなく、ただ事実を羅列しただけです。

 

事実を羅列しただけでボロっかす書かれているように見えるということは、僕の父の生き方がひどいだけだと思います笑

 

 

 

余談ですが、残された僕たち兄弟は遺族年金や、交通遺児育英会さんの奨学金のおかげで無事に高校へ進み、そして僕は大学まで進学させてもらえたわけです。

 

時代が時代なら中卒で働かなくてはいけなかったでしょう。

 

ほんとに日本の福祉には感謝してます。

 

 

 

 

お金がないのは不幸だ

 

そんなこんなで僕は商売に失敗した人間の末路をこの目でリアルにみてきました。

 

だから、人一倍、お金がないことの不幸を知っています。

 

「お金がなくても幸せになれる」というのは一面では正しいですが、それはすでにお金があるという心の余裕があってこそです。

 

お金がすでにある人はお金を使わずとも幸せになれるかもしれません。

 

しかし、普通の人間はお金がないと不幸になります。

 

 

たぶん僕が普通の人より商売、つまりお金を稼ぐことに対して、積極的なのはこういう経験をしてきたことが大きいです。

 

 

ただ面白いものでDNAには逆らえないのか、商売で失敗した人間をまじまじと見てきたにも関わらず、大学生になっても就職するというイメージはわきませんでした。

 

そんなこんなで大学生にもなれば、その先にどうやってお金を稼ぐのかを考えなければいけなかったわけです。

 

「就職する気ないし、なんかせんとあかんわー」

 

そんな消極的なモチベーションが最初でした。

 

 

 

 

「どうしたら稼げるか」、試行錯誤の大学時代

 

就職する気のなかった僕は、

 

「とりあえず稼げさえすればどうにかなる」

 

と思い、どうしたらお金が稼げるのか、いろいろと試してみることにしました。

 

ネットとか調べると怪しい稼ぐための情報とかいろいろありますよね。

 

みなさんも一度は調べたこととかありませんか?

 

「お金 稼ぎ方」みたいに検索したりして。

 

だいたい怪しさ満点の人たちが「必ず稼げます」とか言ってるサイトがでてきます。

 

懸命なみなさんは絶対に参考にしないでください。

 

 

最初はアフィリエイト

 

今でこそ笑い話なんですけど、本当の初期、19歳のときに試したのはアフィリエイトでした。

 

アフィリエイトとはブログとかで商品を紹介して、その紹介料でお金を稼ぐみたいなやつです。

 

アフィリエイトについて調べていると、

 

「まずは稼げるジャンルを選ぶのが大切」みたいな情報がありました。

 

稼げるジャンルっていうのはたしか電子コミックとかギャンブル系だった気がします。

 

そして、僕はアダルト系の電子コミックを紹介するのが稼げるみたいな情報にありつきました。

 

純粋無垢な19歳の青年は素直に信じました。

 

「なるほどネットでエ○漫画を紹介すれば稼げるのか」

と。

 

思い立ったらすぐ行動です。

 

ブログを立ち上げました。このへんはお手の物でした。

 

次は紹介するエ○漫画を決めないといけません。

 

当然、中学生のときに読んだ「ふたりエ○チ」を覗いて、そのようなものは読んだことがありませんでした。

 

マニアックなジャンルに特化したほうがよく売れるみたいな情報もあったのでマニアックな方向でいこうと思いました。

 

エ○ロでマニアックなジャンルといえば無数にあります。

 

そんな中で僕が選んだマニアックなジャンルは、

 

 

 

、、、

 

 

 

、、、

 

 

 

 

「透明人間モノ」です。

 

「透明人間モノとはなにか」という質問につきましては紙面の都合上、割愛させていただきます。

 

 

 

「俺は興味ないけど、マニアックだし好きな人は好きだろ」

 

って思いながら大真面目に選びました。

 

稼ぐことが目的だったので、合法の範囲内なら手段は選びませんでした。

 

そんなこんなで19歳の僕は、とりあえず適当に透明人間モノの漫画を選んで、それの紹介記事を執筆していきます。

 

さぁいよいよ記事を書きます。

 

 

「透明人間モノが今はアツい!!!」

 

「透明人間モノではこの作品がおすすめ!!!」

 

「透明人間モノ漫画ランキングbest5」

 

 

読んでもないくせに、雄弁に言葉を並べました。

 

当の本人は大真面目でした。

 

 

それでつらつら透明人間モノの紹介記事を書いている最中に

 

僕は、ふと我にかえりました。

 

 

 

「俺、なにしてんだよ」

って。

 

 

19歳の僕は意外とまともでした。

 

それで記事執筆はやめ、アフィリエイトはダメだなと思いブログを書くのはやめました。

 

あのとき引き返していなかったら今の僕はいないかもしれません。

 

怪しい漫画紹介ブログを書いて生活していたかもしれません。

 

 

 

 

そうだ、モノを売ろう

 

ネットでブログを書いて稼ぐのは自分に向いていないと思い、方向転換です。

 

 

次は「なにか具体的なモノを売ろう」と思いました。

 

 

そこで家にある売れそうなものを探しました。

 

それでとりあえず家にあった島田紳助のトークライブDVDをヤフオクに出品しました。当時はまだメルカリがそこまで一般的ではありませんでした。

 

「これなら売れそう」と思いヤフオクに出品しました。

 

 

、、、

 

 

 

、、、

 

 

売れました。

 

 

だいたい買い値で売れました。島田紳助さんありがとう。

 

「けっこう高く売れんだな」っていうのが最初の感想でした。

 

次に出品したのは当時、軽音サークルでギターも触ってたので、ギターのエフェクター(ギターの音を変えるための機械)でした。

 

出品しました。状態は「非常に良い」みたいな嘘かホントかわからないことを書いて。

 

それも結構すぐ売れました。

 

定価よりは結構安かった気がします。

 

でも次に売るものがありません。

 

だいたい男子大学生の家にあるお金になりそうなものなんてほとんどありません。

 

それで思いました。

 

「そうか、なんか売るものを仕入れないとダメなんだな」

って。

 

それでメルカリでギターのエフェクターを買ってみて、ヤフオクで売ってみました。

 

メルカリ→ヤフオクの横流し戦略です。

 

だいたい買ったのと、同じ値段で売れました。

 

送料と販売手数料が引かれてしまうので赤字です笑

 

 

「世の中、甘くねえわ」

って思いました。

 

メルカリで買ったものをヤフオクで売るだけで稼げるほど、世の中甘くありませんでした。

 

それで考えました。

 

ヤフオクとかでよくギターやめた人がエフェクターを5個セットで売ってることがあるんです。

 

5個セット送料込み2万5000円みたいな感じで。

 

あれを買って、個別にバラバラにしてメルカリで売ればいいんじゃねって。

 

さっそく行動です。

 

ヤフオクでギターをやめた人がまとめて出品してるエフェクターを落札しました。

 

それをメルカリで個別に出品しました。

 

 

 

、、、

 

 

 

売れました。

 

だいたいそれぞれ5000円で買ったものが5500円で売れたみたいなイメージでした。

 

赤字ではありません。500円の利益がでました。

 

それは僕たち商売人にとって大きな進歩でした。

 

ただ「これだけ発送の手間とかかけて500円か」とも思いました。これでは割に合いません。

 

もっと仕入れ値を下げる必要があると思いました。

 

そこでちょっとひらめきました。

 

「海外から仕入れたらいいんじゃね」

って。

 

なんか海外で買うと安いイメージありますよね。

 

それで英語で「guitar effector shop」みたいな感じで検索して色々探しました。

 

だいたい日本で売ってるより安いこともあるんですけど、海外からの送料とか考えたら赤字でした。

 

その段階でギターのエフェクターはギタリストたちの間では広く普及しすぎて、価格差がないんだと理解しました。

 

それとギターのエフェクターの輸入する国は基本的にアメリカやヨーロッパなど日本から遠く送料が高くて利益をだすことが大変でした。

 

そこで次の作戦は

  • 価格差が生まれそう
  • 日本から近い国から輸入できる

 

この2つを兼ね備えた商品を扱うということに決めました。

 

日本から近いといえば、中国がまっさきに浮かびました。

 

それで次に扱う商品は中国から輸入することに決めました。

 

具体的な商材に関しては、とくにこだわりがなく売れそうならなんでもいいとなり、必然的に雑貨の部類の商品が目につきました。

 

中国から雑貨を輸入して売る。

次の作戦はこれに決まりました。

 

 

 

っとここまでつらつらと書いてきましたが、文字数がかなり大きくなってしまったので、続きは次の記事へ書きます。

 

まだまだこれがどうAZLIVにつながるか、全然わかりませんね。

 

後半はかなり真面目な話もしていて、少しタメになる内容もあります。

 

 

続きはこちら↓↓↓

後編『筋トレとビジネスが偶然つながった』